西郷隆盛(小吉、吉之助)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働くが、困った人を見ると放っておけず、自分の給金も弁当も全部与えてしまう始末。西郷家はますます貧乏になり、家族は呆れかえるが、西郷は空腹を笑い飛ばす。 そんな愚直な西郷に、カリスマ薩摩藩主?島津斉(なり)彬(あきら)が目を留めた。「民の幸せこそが国を富ませ強くする」と強く主張する斉彬に、西郷も心酔する。西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走。薩摩のキーパーソンとなっていく。 生涯の師?斉彬との出会いと別れ。篤姫との淡い恋。仲間との友情と反目。多感な青年期を経て、3度の結婚、2度の島流し…。極貧の下級武士に過ぎなかった素朴な男は、南国奄美で愛に目覚め、勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、やがて明治維新を...
我认为大河剧的主旨是围绕“时代”展开的
当然这部《西乡殿》也不例外。
一
不过,我们可以稍稍地和近年同样描写幕末到明治时代的《龙马传》对比一下:二者虽然有着相似的时间线,但是《西乡殿》主题已非诸如“进步”,“新的日本”如此的机械和线性。首先交响乐片头主题就有很大不同:《龙马传》的片头主题组成一个是大海和龙,一个是日本接触西洋文明的浮世绘相交辉映,龙马在长长的海岸奔跑;《西乡殿》的片头则是充满传统风格的热情洋溢的相扑、战国时代的装束、鹿儿岛当地风格的“傩戏”(实在不知道日语中这种戏剧叫啥),西乡在田间挥汗如雨的劳作(明治篇),西乡不动如山地注视着大海,以及大量美景。。。从片头就能稍稍看出时代背景相似,主角立场相近的两部剧承载的主题是不一样的。
二
如果让我用一句话来说,《龙马传》的主题是“一个全新的日本!”,《西乡殿》的主题就应该是“一个全新的日本...吗?”
“一个全新的日本...吗?”这也是这部剧最想给观众留的思考题,反复出现在剧中:
吉之助少时手臂受伤,终身无法挥刀,向岛津齐彬哭诉,岛津教育他:“武士凭借刀剑的时代要一去不返了,今后你当保护弱小之人”
龙马被暗杀后,阿龙哭骂西乡隆盛:“如果这就是你们想要的新的日本,我宁可不要”
吉二郎死在吉之助怀里,吉之助痛不欲生,旁白响起:“那之后,会津 庄内 箱馆,戊辰战争仍在持续中...战争之中,日本走向了明治之世...”
废藩置县开始时岛津久光对西乡的抱怨:“这就是兄长想要的新的日本...吗?”
这种类似于娜拉走了对不对的反思,是很值得观众细细品味的所在
《西乡殿》不加隐晦的展示了戊辰战争的大量血腥场景,甚至于使用了修昔底德式的白描手法书写战争的残酷(镇压彰义队),指挥官吉之助对面前的血腥,脑海里闪过不忍,但依然竭力地嘶吼着要全部镇压。关于人性描写也有一定的涉足:知晓庆喜本性的吉之助决定铲除德川,开始不惜一切代价发动政变和战争,尽管他本人厌恶战争;第35集,得知哥哥消灭德川计谋的信吾不敢置信道:“恶鬼啊,大哥已经变成战斗的恶鬼了”,吉之助面无表情地答道:“对啊,所以你也给我拼死战斗”。
这些白描似的手法,加深了这种问题的深刻程度。是啊,为了一个全新的XXX,家人、爱人、同仁、信任、人性,到底需要人们付出多少?幸好剧中的西乡吉之助,为了新时代,为了信念付出了许多,却在伤痕累累的维新之后,并未摘桃子给自己吃,高官得坐。而是用自己的身躯背负起了他所破坏的东西,为战死的萨摩武士负责,背负起了时代的痛苦,辞官回到了鹿儿岛,直到再次入阁--征韩--下野--西南战争。
三
对于维新,该剧并无太多的表现日本与西洋的碰撞,至于福泽谕吉在自传里曾经说过的风气一新,也根本没有着墨。而是从侧面进行了描写:明治之世,官员贪腐盛行,废藩置县和版籍奉还使得大量的武士失业,带来了严重的社会问题,失业的武士们开始筹划一场场的暴动;岩仓使节团的出访使得朝内政治斗争不断,外交问题又引起征韩论之争,朝野成为了火药桶。这个战火中建立的新国家依然风雨飘摇,以至于西南战争爆发,西乡隆盛为了安抚愤怒的士族们,加入了他们的队伍踏上了上京的不归路。
历史是需要进步的,而进步的代价往往被人们忽略,甚至被一些人当做是必须的牺牲。而《西乡殿》,应该是对这种观点是有所保留的。所以尽管西乡隆盛是为了维新而奋斗,但这部剧维新的元素相当的不是那么多。一个时代进步,总有落伍者,这些落伍者总会被大众所憎恨、批判,被社会抛弃;一个时代的进步,也总有牺牲者,这些牺牲者会被大众遗忘。一个全新的世界总是伴随着一个被时代遗弃的世界,而走向新世界的过程则是惊人的牺牲。这些人就该被遗忘、被无视、被践踏吗?《西乡殿》借助明治篇的最后几集,给出了明确的答案:不。这也应该是西乡殿所含蓄表达的一个主旨,也是作为一部时代剧,思想最为深刻的部分。
所以西乡隆盛回乡种地了,入阁又下野了,开办私学校,带领士族讨说法,最后战死。
我平素不喜欢空谈道德,只愿:
敬天爱人
『西郷どん』(せごどん)は、2018年1月7日から同年12月16日まで放送されたNHK大河ドラマ第57作[1][3]。NHK大河ドラマとしては平成のうちに最終回を迎えた最後の作品。
明治維新の立役者・西郷隆盛を原作・林真理子と脚本・中園ミホの「女の視点」で、勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描く[1][3]。
2018年(平成30年)が「明治維新から150年」にあたることから企画された[4]。
2016年9月8日に制作発表が行われ、林真理子の小説『西郷どん!』[注釈 1]を原作に、脚本を連続テレビ小説『花子とアン』などを手がけた中園ミホが担当することが発表された[1][3]。
同年11月2日、主人公の西郷隆盛役を鈴木亮平が演じることが発表された[6]。会見の中で中園は、「原作には師弟愛や家族愛、男女の愛、BL(ボーイズラブ)までの色々な愛がある」と指摘する[7]一方でBL要素を加えると明言したことに対する批判も起きている[8]。
語りの役は当初、市原悦子が起用される予定であったが市原が体調不良を理由に降板したため、過去に西郷を主人公とした大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年放送)で西郷役を演じていた西田敏行が代役に選ばれ[9][10]、第1話から語りと中 - 高年期の西郷菊次郎役を兼任して担当している。他にも斉藤由貴の出演が予定されていたが[11]、2017年9月21日に出演辞退が発表され[12]、10月18日に南野の起用が明らかにされた[13]。
2017年7月6日にクランクイン[14]。8月23日から9月初旬まで鹿児島ロケ[15]。11月7日、公式HPが開設され、同時にメインビジュアルが発表された[16]。
NHK局内での「働き方改革」の一環として、この作品から大河ドラマの放送回数が全47回となり、当初の発表から3話減らされた[2]。減らされた話数には別番組を編成した。 西郷が奄美大島、沖永良部島に流刑となる「島編」では、3週間にわたる奄美大島ロケが行われた[17]。奄美言葉のセリフには日本語(共通語)字幕が付けられる[18]。
オープニングは雄川の滝や龍門司坂等の鹿児島の景勝地を映し、幕末、明治と時代が進むごとに西郷隆盛の容姿の変化を盛り込んでいる。音楽の後半から里アンナによる歌声が流れるが第18回より島言葉による歌詞が付いた「西郷どん -メインテーマ- すらちまいあがれVer.」に変更となった。
次作『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は4K映像作品となったため[20]、NHK大河ドラマシリーズ最後の全編ハイビジョン撮影作品となった。
全47話の加重平均視聴率は12.7%となり、2018年12月の放送終了時点では『花燃ゆ』『平清盛』に続く歴代ワースト3位の数字だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)[21]。
西郷隆盛が日本史上最後の内戦・西南戦争で戦死してから21年後、すっかり白髪交じりの頭となった西郷の夫人・糸(イト)は、明治三十一年十二月十八日、上野公園で西郷隆盛像の除幕式に出席する。だが、幕が下ろされ、像を見た西郷夫人・糸は動揺し、「違ごう………うちの旦那さぁは……こげな人じゃ、ありもはん!」と叫ぶ。
時代は徳川泰平の世の末期の幕末、その幕末の薩摩藩(現在の鹿児島県)には、貧乏な下級藩士の子・西郷小吉がいた。小吉は、大家族の長男として生まれた。隣の家に住むのは幼馴染の大久保正助、のちの大久保利通である。少年時代に郷中同士の喧嘩に巻き込まれて、右腕を斬られ、剣を持てなくなる小吉。立派な侍になれないと嘆くが、薩摩藩の若君・島津斉彬に出会い「めそめそするな、この”やっせんぼ”!侍が腰に二本も刀を差してふんぞり返っている時代はもうすぐおわるんだ。民のために尽くす侍となれ!」と励まされる。小吉は成長し西郷吉之助(のちの隆盛)と名を変え、郡方書役助として薩摩藩に仕える。お由羅騒動の後、斉彬が藩主になると、西郷は藩の政を憂う書状などから斉彬に登用され、江戸勤めを命じられる。西郷は幼馴染の正助や離縁を申し出た須賀により支度金三十両を工面し、江戸に出発する。斉彬の「お庭番」として活動し、薩摩藩の篤姫を江戸幕府の第13代将軍徳川家定の元へ輿入れさせることに成功する。品川の宿では「ヒー様」と呼ばれる一橋慶喜と知り合いにもなる。
篤姫輿入れの策謀では斉彬(一橋派)はまずは成功(次期将軍に一橋慶喜を就任させるのが最終の策謀)したものの、味方一橋派の老中・阿部正弘が急死してしまう。次期第14代将軍は井伊直弼の推す徳川家茂となる。不幸は斉彬まで病死したことだ。井伊は反対派を粛正するためのちに『安政の大獄』と呼ばれる弾圧政治を始める。西郷は朝廷工作を行っていた僧侶・月照とともに薩摩に逃亡を図るが、「日向送り」(隣国・日向国の国境で処刑される刑罰)の沙汰が下る。西郷は月照と船から抱き合うように海に落ちて入水自殺を図り、一人だけ生き残ってしまう。「これは天命に違いなか」
西郷吉之助は菊池源吾と名を変えて、幕府には死亡したことにして、薩摩藩に「島流し」にされる。西郷は自暴自棄になり、ささくれだって島人を遠避け、死人の如く落ち込んでいたが、やがて、薩摩藩からの圧政に苦しむ島民と心通わせる。西郷は、島の娘・愛加那をアンゴ(島妻)とし、長男・菊次郎と長女・菊草を授かるが、薩摩に帰郷することを三年後に許される。だが、斉彬の弟・島津久光の怒りを買い、今度は沖永良部島に流される。紆余曲折の末再び薩摩に戻った西郷は、最初、会津藩と薩摩藩で幕府側として、禁門の変や長州征伐で指揮を執る。しかし、徳川幕府の腐りきった体制を見るにつけて、次第に西郷は倒幕に傾いていく。この後、慶喜とは決別をした。また幼馴染の糸と再婚し、京洛で、のちの維新の立役者、幕臣の勝海舟、公家の岩倉具視、土佐藩士の坂本龍馬らと知り合った西郷は、藩内の反対派を抑え、坂本龍馬の策で長州藩と薩摩藩は同盟を結ぶ。いわゆる『薩長同盟』である。若き将軍・徳川家茂が病死し、最後の第15代将軍となった徳川慶喜は、西郷ら武力倒幕を目指す輩が驚くような策を放つ。『大政奉還』である。だが、坂本龍馬は不貞な輩に暗殺されてしまう。江戸城総攻撃の前日、西郷と勝海舟は江戸薩摩藩邸で会談をもつ。勝は言う。「江戸百万の民に、塗炭の苦しみをなめさせて作る国に、この先にどんな望みがあるってんだ。せごどんが作る、新しい日本てのはなんだい?」勝海舟の言葉に我を取り戻した西郷は、勝に説得され『江戸無血開城』が成立する。
明治三十七年、京都市に新しい市長が赴任した。西南の役で戦死した西郷隆盛の息子の西郷菊次郎であった。彼は西郷の嫡男であるという事はあまり主張しなかった、自分が庶子である、という。そして菊次郎は市長室にやってきた部下にせがまれ、西郷隆盛の話を再開する。
戊辰戦争で弟の吉二郎を亡くした西郷は薩摩に戻り、大島から菊次郎と菊草を引き取る。だが大久保に請われ、上京して明治新政府の参与に参画。ほどなく、岩倉具視、木戸孝允、大久保らが『岩倉使節団』として条約改正のため二年間の予定で欧米に出発した。留守政府を任された西郷たちは、廃藩置県や帯刀禁止令や地租改正、裁判制度など次々と改革を断行。やがて朝鮮国との外交を巡って『征韓論』が起こる。が、西郷は大使として朝鮮に赴き説得してくると主張する。だが、帰国した大久保・岩倉たちに反対され、征韓論は瓦解し、西郷・板垣・江藤らは明治新政府を去り、下野。西郷は薩摩・鹿児島県に戻ると、士族のための私学校をつくり、自分は校長として生徒たちの指導にあたる。そこに薩摩の西郷をしたって中村半次郎・桐野利秋や別府伸介らや明治政府での薩摩出身の兵隊たちまでやってくる。だが、生徒たちが大久保の命を受けた刺客が西郷隆盛を暗殺しようとしたと激高し、騒動を起こした。そこから日本史上最後の内戦『西南戦争』に発展。「おいの命、おまはんらにあずけもんそ」西郷は新政府軍と戦うが、敗走に次ぐ敗走で、徐々に追い詰められる。 二万いた西郷軍はわずか数百となり、生まれ故郷の薩摩・鹿児島県の城山に最後の着陣。その夜、西郷たちは『ラ・マルセイエーズ(フランス革命の歌・現在のフランス国歌)』の演奏にあわせて円陣を組み、最後の夜に想いをひとつにはしゃぐ。
明治十年九月二十四日、明治新政府軍による城山の総攻撃が開始される。「そろそろいきもうそ」と西郷軍は城山を出て走り出す。視界が開けて雄大な噴煙を上げる桜島が見える。その時、銃弾を腹と脚に受けた。「もう……ここらでよか」が最期の言葉となり、西郷隆盛はついに絶命。多くの人がその死を哀しんだ。そして、西郷の盟友・大久保利通も西郷の死の翌年、東京の紀尾井坂で暗殺される。
『敬天愛人』……天を敬い人を愛した西郷隆盛と、その明治維新の英雄たちの時代はこうして幕を閉じた。
西郷隆盛(さいごう たかもり)(西郷小吉 → 西郷吉之助 → 西郷隆盛)演:鈴木亮平(少年期:渡邉蒼)本作の主人公。薩摩藩下加治屋町郷中の下士・西郷家の長男。幼名は小吉(こきち)、長じてから吉之助(きちのすけ)と名乗る。島津斉彬に見出されて御庭方として仕え、一橋慶喜の将軍擁立運動に携わるが失敗。その後、二度の島流しの苦難を経て、藩の中枢に復帰、新政府樹立後は戊辰戦争に従軍し指揮を執る。戊辰戦争の後、隠居する事を大久保に告げて薩摩に帰り悠々自適の暮らしをしていたが、大久保から請われ再び中央政界へ復帰。大久保ら岩倉使節団が外遊中の留守政府を任されるが、使節団帰国後は征韓論で大久保と対立。明治政府を去り再び鹿児島へと帰る。帰郷後は穏やかに暮らすことを望んでいたが、自身を慕って鹿児島へ集った多くの時代に取り残された士族の為に私学校を設立し、共に生きる道を探し求めていたが、私学校の生徒達の暴発と新政府から刺客が送り込まれていたことを知って挙兵し、西南戦争を起こすも敗死する。西郷糸(さいごう いと)(岩山糸 → 海老原糸 → 西郷糸)演:黒木華(少女期:渡邉このみ)隆盛の3度目の妻。下加治屋町郷中・岩山家の娘。海老原家に嫁ぐも、子が出来ない事を理由に離縁される。吉之助(隆盛)に嫁いだ後は子宝に恵まれる。西郷満佐(さいごう まさ)演:松坂慶子吉之助の母。西郷吉兵衛(さいごう きちべえ)演:風間杜夫吉之助の父。西郷吉二郎(さいごう きちじろう)演:渡部豪太(少年期:荒井雄斗)吉之助の次弟。藩の外交や戦で多忙な兄に代わり、鹿児島の西郷家を守ってきた。自ら志願して戊辰戦争に出征するが、重傷を負って死亡。西郷園(さいごう その)演:柏木由紀吉二郎の妻。西郷従道(さいごう じゅうどう)(西郷信吾 → 西郷従道)演:錦戸亮(幼児期:斎藤汰鷹 / 幼少期:佐藤和太 / 少年期:田港璃空)隆盛の三弟。通称は信吾(しんご)。兄に憧れて統幕運動に身を投じる。新政府では要職に就く。西郷清(さいごう きよ)演:上白石萌音従道の妻。市来琴(いちき こと)(西郷琴 → 市来琴)演:桜庭ななみ(少女期:栗本有規)隆盛の長妹。西郷きみ(さいごう きみ)演:水野久美吉之助の祖母。西郷龍右衛門(さいごう りゅうえもん)演:大村崑吉之助の祖父。西郷菊次郎(さいごう きくじろう)演:西田敏行(壮年期)/今井悠貴(青年期)(幼児期:内田凜太朗 / 内田廉太朗[22] / 幼少期:城桧吏)隆盛と愛加那の長子。幼少期は大島で母や妹と過ごす。明治に入ってから鹿児島の西郷家に引き取られ、糸に養育される。成長後は父に従って西南戦争に参加するが、宮崎での戦闘で右脚を切断する重傷を負い、戦線を離脱する。本作後半は戦争後、長じて京都市長となった菊次郎が、往時の隆盛の姿を回想するという構成になっている。熊吉(くまきち)演:塚地武雅西郷家の下男。西郷小兵衛(さいごう こへえ)演:上川周作(幼児期:小山蒼海 / 幼少期:斎藤絢永 / 少年期:大山蓮斗)西郷家の末子。隆盛の四弟。西郷鷹(さいごう たか)演:原舞歌(幼少期:石井心咲 / 少女期:渡来るひか)吉之助の次妹。西郷安(さいごう やす)演:萱野優(幼児期:大塚心結 / 少女期:佐藤心美)吉之助の末妹。西郷寅太郎(さいごう とらたろう)演:古舘緩樹(幼児期:太田翔己[23] / 幼少期:林田悠作)隆盛と糸の長男。西郷菊草(さいごう きくそう)演:八木優希(幼少期:鎌田英怜奈)隆盛と愛加那の娘。西郷午次郎(さいごう うまじろう)演:土田諒隆盛と糸の次男。西郷酉三(さいごう とりぞう)演:田中大翔隆盛と糸の三男。西郷ミツ(さいごう みつ)演:茅森優那(幼児期:佐藤恋和[24] / 幼少期:宝辺花帆美[25] / 少女期:大平媛[26])吉二郎の娘。西郷勇袈裟(さいごう ゆうげさ)演:永澤絢埜(幼少期:築谷櫂[27])吉二郎の息子。西郷桜子(さいごう さくらこ)演:西郷真悠子従道の娘。
大久保利通(おおくぼ としみち)(大久保正助 → 大久保一蔵 → 大久保利通)演:瑛太(少年期:石川樹)隆盛の幼馴染。下加治屋町郷中。通称は正助(しょうすけ)、のち一蔵(いちぞう)と改める。吉之助(隆盛)失脚後、島津久光に接近して藩政の中枢に精忠組のメンバーを送り込むことに成功し、吉之助の復帰を助け、共に倒幕運動に活躍した。明治政府では、参議、内務卿の要職に就くが、旧制度の廃止や殖産興業を強引に押し進めて次第に隆盛と対立し、岩倉具視らと組んで隆盛らを新政府から追放した。が、自身は隆盛を嫌っていたわけではなく、自ら進んで憎まれ役を演じていただけであり、西南戦争の際も最後まで隆盛の命を助けようとしていた。隆盛の死の翌年、不平士族に暗殺された。大久保満寿(おおくぼ ます)(早崎満寿 → 大久保満寿)演:美村里江[注釈 2]利通の妻。薩摩藩士・早崎七郎左衛門の次女。時代が明治になり、利通から上京するよう言われるが、当初はゆうの存在を知るがゆえに意地を張り、薩摩に留まり続けていたが、隆盛が鹿児島へ帰った直後から政府に不満を抱く不平士族から嫌がらせを受けるようになり、子供達を連れて上京した。大久保次右衛門(おおくぼ じえもん)演:平田満利通の父。お由羅騒動で連座、流罪となる。のちに帰還。大久保福(おおくぼ ふく)演:藤真利子利通の母。大久保キチ(おおくぼ きち)演:佐藤奈織美(少女期:吉田空)利通の妹。大久保スマ(おおくぼ すま)演:日下玉巳利通の妹。大久保ミネ(おおくぼ みね)演:髙野友那利通の妹。大久保彦熊(おおくぼ ひこくま)演:遠藤颯(幼児期:曵地奏飛)利通の長男。大久保達熊(おおくぼ たつくま)演:吉田奏佑利通とゆうの子。利通の四男。大久保利武(おおくぼ としたけ)演:田中レイ利通の三男。大久保よし子(おおくぼ よしこ)演:福田彩実利通の娘。
大山綱良(おおやま つなよし)(大山格之助 → 大山綱良)演:北村有起哉(少年期:犬飼直紀)隆盛の幼馴染。高麗町郷中。通称は格之助(かくのすけ)。寺田屋事件では鎮撫使として過激派を粛正した。維新後は鹿児島県令となり、東京の新政府と未だに殿様気分の抜けない島津久光との間で苦労している。西郷が私学校を設立する際には県令の立場にありながら資金提供をするなど協力したが、後に西南戦争が勃発するとその事実を糾弾され、新政府に拘束されてしまう。その際に獄中で「吉之助は直接、お前と話がしたいだけだ」と大久保を厳しく諭すも却って一蹴され、かつての盟友との対決姿勢を示した大久保の冷酷さに愕然となる。海江田武次(かいえだ たけじ)(有村俊斎 → 海江田武次)演:高橋光臣(少年期:池田優斗)隆盛の幼馴染。高麗町郷中。初名は有村俊斎(ありむら しゅんさい)。島津斉興の茶坊主。生麦事件では行列を横切ったイギリス人にとどめを刺す。維新後は久光に仕えている。西南戦争終盤、戦の様子を久光と共に城で見守っていたが声を殺して泣いていた。村田新八(むらた しんぱち)演:堀井新太(少年期:加藤憲史郎)隆盛の幼馴染。下加治屋町郷中。維新後は宮内大丞。西南戦争まで隆盛に付き従い、城山の激戦中に自刃した。有馬新七(ありま しんしち)演:増田修一朗(少年期: 3 ) 这好像是大河剧里第一次出现马赛曲? 西乡隆盛和坂本龙马是日本近现代以来的两大偶像。龙马是司马辽太郎一手打造的,我一直觉得龙马的形象过度符合资本主义价值观,司马老头不愧是国民作家,某种程度上挽救了日本人的自我认知。而西乡,说实在的,这个人的魅力已经弥散在历史迷雾中,本世纪已经看不懂了。上世纪初,日本人描述龙马的意向放在“马”字上,我记得近代郭立国会图书馆上有本书名是“千里驹”,而到了10年大河剧片头已经是神龙见首不见尾了。04年大河剧《新选组》甚至让西乡成为龙马暗杀的主谋,可见两人在日本人心目中的位置已经彻底掉了个个儿 当然西乡比起同时代的其他人还是饱受敬仰的。我个人比较偏爱拿公款吃喝嫖赌(好像没有赌,赌是岩仓的专利)的长州那群熊孩子。长州在大河剧史上有2部,《花神》和《花燃》。13年知道15年要拍什么的时候,我想日本人其实还是在以自己的角度反思历史的,他们永远不可能拍那些和近代军国主义有密切关系的人,比如伊藤之类,哪怕是《花神》总集篇5集中间3集的主角高杉,因为是长州阀军队的源头,也不可能成为主角。《花燃》的名字显然是继《花神》而来,但选名不见经传的人当主角,可见日本人的态度。起初我觉得这也没什么,反正大河剧都是群像,但看着看着就发现主角是谁影响挺大的,连我这个长州粉都觉得不行,《花燃》收视率自然也就不可能行。 萨摩主场大河剧历史上有3部,包括《笃姬》。《花燃》信息出来之后我就想,之后应该快轮到萨摩了吧。但我没想到又是西乡,西乡的魅力现代人已经难以解码了,别的且不论,他是个胖子啊,在当代人眼里“胖”是和“没有意志力”紧密相联的。堤真一可能是史上第一个据演大河剧主角的演员,原先我以为他只是觉得大河剧档期长收视又连续走低,对事业发展不利,看了剧才后知后觉:演西乡得增肥,堤叔岁数不小了,之后减不下去咋办?至于亮平桑,因为是日本周杰伦,我身为中国人还是蛮有好感的,但他演西乡对我的不利之处是:他五官比较平淡,我得费点劲才能从满屏角色中认出来。 《笃姬》是近年来唯一收视率高的大河剧,不过说实在的,我对这个片的一些情节不太认同。笃姬最后的确把自己定位为德川家的媳妇,庆喜也并不适合做力挽狂澜的将军,但一开始齐彬是要求笃姬扶庆喜上位的,庆喜最初也被视为难得的人才,笃姬在还未感到德川家族、家茂魅力的情况下就反水,这不道德。大河剧过去的主要受众是中老年男性,我怎么感觉他们是看到这种“儿媳妇死心塌地为婆家”的情节感觉受到心理massage,才把收视率抬上去的呢?家定的情况就更莫名其妙了,国家危亡时刻,你身为政府首脑一句“没有人能够做到”就可以当甩手掌柜装疯卖傻丢脸丢到美国公使面前?国耻!《银魂》将家定塑造成贪婪恶毒的小人,我觉得就是对此剧的态度。 长州的剧出来之后,我想轮也该轮到萨摩了。果不其然,《西乡殿》登场。这剧是有原著依托的。我个人感觉大河剧近年来对收视率已经哀莫大于心死,编剧们不求有功但求无过,如果有原本,至少挨骂程度会轻很多。《毛利元就》原著是《毛利元就和他的女人们》,于是剧里一群花花绿绿的女性来来去去,这要是原创电视剧早就被口水淹没了。不过,作为小说家自由探讨西乡魅力的奥秘还好,顶多浪费点稿纸笔墨,拍成电视剧那注定血本无归啊,何况,早在演出笃姬劝家定收养庆喜的那一刻起,这剧收视率就注定godie。 身为长州粉,我不免要多关注长州角色。长州第一美男子、幕末数得上的帅哥桂小五郎因为经常逃跑,群众印象十分不好,即便在自家主场的《花神》里颜值也十分糟糕,这几年为了收视率多请明星出演,但帅如谷原章介在《龙马传》里居然化妆上刻意扮丑,于是我对他在剧中的颜值再也不抱希望了。这里是萨摩主场,桂小五郎的形象却是从外在到内在都十分的不错,甚至有所美化——其实他不可能照顾的好西乡在东京收养的那几个孩子,他连自己的骨肉都不承认。更意外的是《花神》主人公大村益次郎先生还出场了一下下,并告诉观众西乡打仗不咋地,不过这么比较也没什么意义,以大村先生为参照的话,恐怕连板垣都成了不会打仗的,何况西乡那两把刷子。不过大村先生出场只是为了之后由岩仓转述他被暗杀了,进而接上岩仓遭遇袭击的剧情,最终照应大久保之死。至于高杉,照样是只出现在别人的话语中(此次由伊藤提到),他存在感太强,出场会抢主角戏份,《花神》就是典型。《龙马传》和《花燃》他是不出场不行,其他幕末剧都只出现名字······井上指挥艺州口攻防居然也被提到了,考虑到这人一辈子就打过这一场仗,这是长州依赖武器优势的铁证,使得大村和高杉的军功大为减色,不过我们也可以自我安慰说大村和高杉的水平无需担心,只有井上能不能打赢需要汇报给盟友······然后井上在作为政府官员出镜几次后就成了一点也不冤的贪污犯,至于山县,估计所有人都赞同不拍他最后为西乡而哭的情节,他确实不配哭西乡 剧本身,2个亮点成了2个槽点。鄙视久光其实原本也是西乡的一个槽点,日本人倾向以保守为美德,在阶级差距大的时代,西乡因为敬慕齐彬就说久光不行,过于自负。这部片子处理成久光崇拜大哥,想继承大哥的事业,以至于忽视了自身在阅历和社交网络上缺乏齐彬的优势,这本来是非常好的想法,因为这些不足是相对客观的,不损害久光“四贤侯”的声誉(四贤侯究竟是齐彬还是久光,我两种说法都见过),西乡指出来也不会损害他的忠臣色彩,但一般人被暗示称土包子又肯定会生气,可以说是历史上这个结点的完美处理。但没想到,剧本干脆就把久光设定成心胸狭隘的笨蛋了。要知道,封建时代同父异母的兄弟其实根本没有感情,如果有利益冲突更是敌人,如果久光崇拜齐彬,说明他有是非眼光,即使不把他描述得多么睿智,至少也应该有他和反对齐彬的父母冲突的情节吧?说到底,剧本就是因为塑造“比最聪明的人差一点但也很优秀”的角色很费劲,才会为了省力把久光塑造成白痴。 另外一个亮点成败笔的地方是庆喜。德川庆喜这个人,说实在的,没人能搞得清他在想什么,即使是他当大河剧主角的时候。98年《最后的将军》正是大河剧末尾播出“纪行”的起点,似乎正是为了弥补剧中对主人公心理塑造的不足,最后成了一个值得继承的优良传统。这里面庆喜起初是一个流连花丛的浪子,不取消防队长女儿实在可惜,因为可以和京都大火对比,加一个姑娘青梅竹马在救火中牺牲的情节之类的。但为了和主角西乡对照,只好让庆喜身边的女性是游女,因为只有游女这个职业才可能从萨摩乡下移动到高位者身侧。浓墨重彩的描写庆喜的浪荡时代后,我本来期待剧会怎么刻画他在高位时代的形象,结果就是个害怕西乡的胆小鬼。虽然最后说明了他是在躲法国公使,但之前吓成那样,如果只是演技,应该交代清楚。庆喜虽然挂靠公家,毕竟还是武家血统,怕死也不会怕得那么明显。武士道对领导的领导态度不明确,但也不能在领导的领导命令你切腹的情况下反过来拿刀威胁对方吧?而且,害怕日本同法国关系破裂也不能解释庆喜对打长州那么起劲啊。有弹幕说庆喜是强行洗白,我看正好相反,编剧是因为早就准备好了洗白的方法,才在之前肆无忌惮地丑化角色,其心理可以一句话总结“反正最后会洗白,之前怎么黒都没关系”,当然,塑造坏人与塑造立场、价值观不同的好人相比省劲多了,日系文艺总这样投机取巧的话,也难怪会在鄙视链上居英美剧之下。(不过日本人不关心中国人的鄙视链结构就是了)能与主角道不同而风度气概不落其下,也就龙马有这待遇。 其他亮点的话,比如年轻的茂久是个挺有主意的人,虽然最后也没有机会伸张。比如中村半次郎终于找了个小帅哥来演,《宛如飞翔》里感觉本来是让他和那个穷学生、姑娘之间搞三角恋的,但最后没有进行下去。最吸引我注意的一个细节是:西乡命令杀死来岛老爷子以迅速结束战斗时,半次郎跃跃欲试,以他的水平自然不成问题,但川路一梭子子弹解决了,这个对比形象地说明了剑的时代已经过去,而川路在武士的战场上用子弹解决对方大将,不能说不道德,但可以反应他缺乏武士精神,要不人家怎么能顺利当第一人警察领袖呢,警察可是彻底的官僚机构啊。再联想起半次郎当初在萨摩枪械训练时抱着刀坐在旁边一脸落寞:自己军队都要舍弃刀剑,他能跟谁置气。其实半次郎和川路这样的人设真实情况更可能是互相看不顺眼,但剧里安排他俩是好友······哎这是第一次浓墨重彩地刻画俩人形象,已经不容易了。 最后我终于说到了题目中的马赛曲。村田新八在前2/3频频出现但又没什么重要戏份,他的主场在最后,在于说出“欧美不是只有那群考察团看到的富丽堂皇,更多的是角落里的贫苦大众”,在于让《马赛曲》飘扬在即将谢幕的西乡的生命中。拥戴西乡起义的大部分士族主要还是家计没有着落,地位下降和贪腐的高层相比更是不堪,村田站在这群人中,其实明白他与一同赴死的战友在乎的东西并不一样吧。历史上村田新八是否有此觉悟已经不重要了,川口雪蓬是否曾举着“革命”的大字挥舞也不重要(那年代“革命”还没有以后来令人谈之色变的含义),一切历史都是当代史,既然是如今拍的剧,总要有那么一两个人是超前的吧。 虽说,在一切大河剧里时不时冒出来的主角的爱民台词和忠于天皇其实是矛盾的 就让西乡隆盛这个人的魅力,留在穿不透的光阴迷雾中吧 已至年末,今年的大河剧《西郷どん》终于完结了。转眼又追了一年。 约50集长度的剧,在国内很常见;但在短小精悍的日剧里,这是数倍于一般剧集的长篇幅。 大河剧便如此,50集的鸿篇巨制,才足以反映历史时段的长度,时代潮流变化的广度,以及详加剖析的深度。 一部大河剧拍得好不好,我就是从这三个尺度去衡量的。长度与广度,通常由选题决定,一个历史小人物是很难体现出这两者的;而深度,就体现编剧的功力了。 《西乡殿》这部作品,选择的题材占了大便宜。东京(江户)、鹿儿岛(萨摩)、冲绳(琉球),横跨大半国土,从地名的更迭也正反映出正是时代转变时刻。 因此,整部剧的时代感是很强的。 第一集岛津齐彬超前的敏锐视线便看出了“武士揣着两把刀过活的日子,已经一去不返了”,到最后一集最后西乡死亡,望着天空说道“ここらでよか”,正式宣告了武士时代的终焉;从落后的农业国,到被迫开国再到主动西化;当然还有主演铃木亮平的体重与气场发生的巨大变化,都令人感到了浓浓的时代潮流变迁之感。这让这部剧站在了及格线上。 但是,全剧并没有深挖时势,只不过是按部就班地拍出了该拍的历史事件。 主角普遍个性单薄,配角更是几乎没有存在感与识别度,人人纯真善良爱国坚定;推动重大事件的发生,仅仅靠真挚的情感打动对方就完事儿了。整部剧看下来缺乏惊鸿一瞥的灵感创作,不会有百看不厌的精彩桥段。 总而言之,看《西乡殿》,有助于了解历史,引人入坑;但少了一分历史厚重感,不足回味。 不过看到最后一集,仍然还是哭惨了。 时代潮流浩浩汤汤,有踏浪前行之人,顺流者昌;自然也有无法激流勇退之人,迎接灭亡。 总有固执的人,不愿被新兴事物所支配,凭什么他们要来革我的命,夺我的权?于是,他们便拿起手中仅存的武器,用自己一介残命去抗争。 他们不是盲目,他们只是不服;你说他们是守旧的顽固造反势力,其实他们是一群比任何人都热血的青年。 拔刀,冲锋,死亡,这是他们选择的路,一条绝路。 这时候突然发现,西乡隆盛的“敬天爱人”有着这么一层涵义: 敬的天,便是时势,是历史的进程。 英雄如西乡隆盛,不可能不认识到未来的发展,这是无法阻挡的趋势。他不愿主动去反抗,只有敬畏。 爱的人,却是他的追随者。 英雄如西乡隆盛,不得不保护那些视他如领袖、如神明的反乱志士。于是,他终于选择站在激情与理想的一方,拥抱他的追随者,与他们共存亡,用战争与牺牲开启和平的新时代。 英雄如西乡隆盛,注定是英雄的死法。 他用个人的牺牲结束了武士的时代,结束了波乱的局势。 呼吸声与炮火声一起终结,死神与和平一同到来—— 「ここらでよか。」 4 ) 《西乡殿》第3、4集简评:一场短小精悍的夺嫡大戏
《西乡殿》中,在岛国日本的西南强藩萨摩,参与争夺藩主之位的是同父异母兄弟岛津齐彬与岛津久光。
但真正互为对手的,还是互相讨厌的岛津齐兴和岛津齐彬——这对父子。
这场“夺嫡”,最终结果是第四集结尾岛津齐彬获胜。但因为其去世较早,且没有儿子来继承他身后的藩主之位,最终只好由落败的岛津久光之子岛津忠义继位,岛津久光从而在事实上掌握了萨摩的政权。齐彬去世、久光重新掌权,这在《西乡殿》后面的剧情中会有展示。
《西乡殿》第三、四集,主要剧情点是,西乡父子因穷困而借钱、西乡隆盛救助中村半次郎一家、岛津齐彬向幕府告发自己的父亲岛津齐兴、岛津齐兴为保护侧室由罗而引发“由罗骚动”、赤山靱负被迫切腹、岛津齐彬的最后反击及继位。
其中,父子借钱、救助半次郎两个段落,拥有共同的主题:武士的尊严。
在中世纪时代的日本,武士作为中坚阶层,不单要允文允武,通常还要筹措自己的生计。日本关于“武士”的影视作品中,不乏反映武士贫困生活的经典之作,比如《切腹》(《一命》)、《黄昏清兵卫》、《猫武士》等。从《西乡殿》前四集能够看到,西乡一家的生计问题一再被提及。《龙马传》中经商的坂本龙马一家、《真田丸》中本身为一方豪强的真田信繁一家、《花燃》中的吉田一家倒显得幸运得多。
在老师赤山靱负介绍的富商家中,西乡隆盛(当时的名字应是“西乡吉之助”,为行文方便,后面统一写为“西乡隆盛”)的父亲囿于自己的武士身份,态度强硬,于是遭到商人拒绝;而西乡隆盛作为武士却向商人服软,这在商人口中成为一件“有器量”的事。
而当发现中村半次郎一家要逃离萨摩藩时,西乡隆盛劝止中村半次郎的理由则是让他珍惜自己的武士身份。
电影《最后的武士》里,以西乡隆盛为原型的胜元被塑造为为了“武士”尊严不惜反抗和牺牲的武士象征。这种诠释,虽然颇具传奇色彩,但放到西南战争中率领萨摩旧武士对抗新政府的大西乡身上,也确实大体不差。
所以像第三集中,出自西乡隆盛口中的对于“武士”这一身份的辩证理解,是《西乡殿》应有的主题。
岛津齐彬幼子被父亲齐兴的侧室由罗以巫蛊诅咒而死,这一段是大河剧中少见的惊悚情节。岛津齐彬向幕府揭发父亲的不法行为,这是夺嫡的重要一步,可惜因为父亲手下老臣独自揽下所有罪责并在雪夜自尽,而功亏一篑。
另一边,藩主齐兴发动“由罗骚动”,萨摩藩中,支持岛津齐彬的人员,或被判切腹、或被流放。其中有西乡、大久保等人的老师赤山靱负。
第四集,赤山靱负切腹前一天,西乡隆盛、大久保利通(大久保正助)一干弟子到老师家中饮宴。赤山靱负谈笑自若,将众位年轻人比作带泥的红薯,需要在萨摩藩这座水桶中碰撞、竞争,最终修成真正的武士。
赤山靱负把这当成自己离世前对弟子们的勉励。这一段,众弟子强作欢悦气氛,却需要忍住悲伤情绪。诀别之宴,乐景哀情,使人动容。此处可说是前四集最为精致的段落。
赤山靱负这样的“老师”是大河剧中经常出现的重要形象。这些“老师”往往被塑造得光辉万丈,如《龙马传》中的胜海舟、《花燃》中的吉田松阴。赤山靱负的戏份虽然只有寥寥四集,但他离世前的表现让这个形象同样光彩满满。
前四集作为一个完整的段落,从小女孩阿蕗被她急于还债的父亲卖掉、到中村半次郎一家的遭遇、再到亲眼目睹赤山靱负切腹,西乡隆盛在众多的事件中获得成长。成长的成果是西乡对岛津齐彬的鼓励。年轻武士通过信件来将自己的所见所闻呈报给主公,让后者下定决心采取下一步的行动,这种事情,充满戏剧性,但在小国寡民的日本各藩国,是极有可能真正发生的。
日本维新取得成功,不能不说是和这种藩国体制有关。
《三国演义》,曹操赐荀彧空饭盒,而荀令君自尽;《西乡殿》,幕府赐岛津齐兴茶器,暗示其应当退位隐居。以器物来打哑谜,这是东亚文化中的共通之处。
齐兴不甘心让位给儿子齐彬,引出第四集另一高潮——父子两人的俄罗斯轮盘对赌。
岛津氏的这场夺嫡戏,放在《西乡殿》中,短小,然而精悍。
齐彬在左轮手枪中放入一枚子弹,然后旋转轮盘,以和父亲赌命的方式来赌萨摩藩的未来。齐彬向自己扣动扳机,很幸运得未碰上那颗子弹;齐兴举枪之后,不敢开枪,只好气馁认输。
气急败坏的由罗向齐彬后背举枪、开枪,子弹射出,幸没有射中。但情绪和俄罗斯轮盘游戏本身自带的悬念在这一刻都得以释放,这同样也是一种相当别致的设计。 5 ) 敬天爱人——西郷どん观后感
6 ) 日本师承中国阳明学思维的最后一波著名人物之一
看完了第一集。子役演的真好。尤其是饰演主角西乡隆盛幼时的子役渡边苍。长得还有点像fuma。看着更喜欢了。可惜看预告第二集就下线了。期待后续cast和剧情。希望今年可以看完一部完整的大河剧。
配左传+1国之大事在祀与戎;敬天爱人;一个匪夷所思的大义,今番有事欲询问政府,想活的投降,想死的跟我去死,亲手埋葬那个时代。
看到预告片时,眼泪不禁流了出来。西乡隆盛的一生告诉我们,生命没有那么重要。一个人一生可能富有或贫穷,可能显赫或默默无闻,可能锦衣玉食美女相伴,也可能饥寒交迫死无安葬。但这些都不是生命的理由~
第二次立志看完的大河剧,因为年末年初大街小巷到处都是铃木亮平…(#゚Д゚)
又是一年大河终结时。陪着西乡殿走过一年,期间还去了鹿儿岛朝圣,最后一集看得很感动。眼看着铃木亮平跟着这个人物在成长,蜕去青涩和鲁莽,逐渐变得沉稳霸气,最终让我相信他就是西乡隆盛。这个人物的人生轨迹挺不可思议的,由一介草民变成开国功臣,最终以被镇压的反叛者收场,但死后却被所有日本人敬仰。敬天爱人,他身上的人格魅力太强大了。西乡隆盛死后,日本再无内战爆发。看每一集都没有跳过片头,富贵晴美的OP太好听了。
四星全给铃木亮平!看着他胖了那么多,真心佩服!
值得追的大河剧!看完第一集真佩服日本的子役
在一幕日本大河剧里,看见了梁启超《少年中国说》精神气质。背靠明治维新这一日本最重大历史变革期,视听语言和叙事却能如此纯真质朴、自然昂扬。和《走向共和》比,很明显看出中日两国知识份子的精神气质差异。
铃木亮平演技真不错。剧情不狗血。我相信西乡大久保之间的友情,后期理念不同分道扬镳可以理解,这不影响两人的牵绊。
2018.06.28【B】变壮的铃木亮平 越看越像小肉柴 忠诚坚定的肉狗
片头大气磅礴,堪称九州宣传片。第一话就安排了多次少年西乡与岛津齐彬的感人互动,将来也就是一个萨摩藩撑起近代日本半边天。希望后面的尊王攘夷运动、倒幕战争和西乡人生最后的西南战争不会因为剧组经费问题又出现不少旁白或单个场景一笔带过的现象。觉得有望能超过前年的「真田丸」。
庆喜背锅剧。
熬过中间10到20集,用力过猛,老好人的西乡以后,前10集和20集以后,是真的好看,有好几个部分,都让我感动得想哭,对于故事的叙述也不拖沓 后期的明治篇才是巅峰
西乡殿是一部神奇的大河,黑木华,铃木亮平,都是细腻至深的演员,这剧能整得他们仿佛不会演戏,学校话剧汇演一般。在天皇料理人中的两位多出色。
故事进度和人设都牵强 改编也不算高明 长的像姐夫的主角拍伟光正气场欠点 但是断断续续还是追到大结局了 差不多完全靠的是西乡隆盛个人事迹的魅力 就当是历史补课了
大河剧这搞法确实是药丸。无限洗白拔高主角,抹黑其他人……
一年来一周追一集看下来还不错,但是一口气的话未必能看下来,演员塑造都不错,铃木亮平一年来随着西乡殿增肥也太拼了,现在大河剧总有种把历史事件简单化的感觉,也是大势所趋了吧
大河剧总算能拍一点真正的历史名人了
平成最后的大河剧,聚焦西乡隆盛纪念明治维新一百五十周年,延续了几年来幕末大河剧对从幕末到维新这一段历史中伤痛的强调。主角西乡为国为民磊落真诚又朴素,人格魅力爆棚。该剧中有近年来对西乡大久保木户岩仓胜这五人最生动最贴近最有血有肉的刻画,也和选取的视角有关。德川庆喜得到了个守卫日本忍辱负重的光辉形象。胜海舟向西乡说多亏了西乡才有江户无血开城,才能再赏上野樱花,上野公园应有西乡铜像——调皮的写法。西乡与大久保分道扬镳的明治篇中,将政治分歧表现为个人矛盾,想要凸显的是两个人的故事。另外,在剧中我们看到了儿时的“小吉”,进入幕末动荡的“西乡吉之助”、流放海岛的“菊池源吾”、明治政治家与“最后的武士”“西乡隆盛”,却不见“西乡南洲”——除了一首和歌,几段教孩子的戏,其余的“南洲”只能到“纪行”里去找了…
假面又增肥了啊!为这身膘肉先给个四星吧!然后锦户六是第一次大河吧?期待吧